「会社に頼る生き方」から脱却して見つけた本当の自分-大場さん


女性が一生仕事を続けるというのが、まだ一般的ではなかった頃、
結婚、出産を経て定年まで同じ会社で働き続けてこられた大場さん。

最初から一生働き続けるんだという強い意志があったわけではなく、
今の仕事は結婚までの社会勉強と思い、自分で得たお金で青春を謳歌していたという。
その働き方を変えたきっかけや、定年まで続けてこられた理由、
そして定年後のこれからをどのように考えているのかを聞いてみました。

働き方に対する価値観が変わった時

-経歴を教えて下さい。

福島県の棚倉町という片田舎出身で、短大に入学するタイミングで上京してきました。
大正生まれの父は、女子の四年制大学進学や仕事を持つことなどにはとても否定的でした。
私も、その時は、どうしてもなりたい職業も考えられなかったし、
とにかく数年東京生活を体験してみようと上京しました。

そして、度胸試しと人生経験の一つとしての就職試験。一社だけ受けてみようと。

まだ、女子の就職には、自宅通勤の条件が付いているところが多かったので、受験できる企業も限られていました。
サービス業に興味を持っていたし、遠くに行ってみたいとも思っていたので、
キャビンアテンダントも考えましたが、当時裸眼0.1以上という視力の基準がクリアできず断念。

特に文学少女だったわけでもなかったが、学校のボードに張られた募集要項を見ていたら、
4人の男兄弟の中で育った私は、少年マガジンの愛読者でもあったので、講談社が目に飛び込んできた。
受験してみるならここだと思い受けてみることにしました。

筆記試験、一時面接、二次面接と進むうちに、
なんだかどんどん合格したい!!という気持ちにはなったのも不思議な気分でした。
ご縁があって採用して頂いたので、しばらく働いてみようと。

-なるほど。

当時の女性編集者の多くは、仕事を取るか、結婚を取るかの選択を迫られた時代です。
同じ出版社でも、事務系は寿退社や出産前に退職する方が多かったです。
一方、独身女子も多かったです。
私は24歳で結婚をして、29歳で妊娠した時に、ご迷惑を最小限にしての辞め時は産休を取る前と考えてました。

ところが、同じ職場の先輩に
「出産には死産というのもあるのだから・・その時に仕事もなかったら更に辛いのでは?」との助言で、
産休を取得し、無事元気な子を出産できたら退社しようと決めました。

-そして、産休に入って…

身重でもあるし、暑い8月でもあって、もうすぐ赤ちゃんが生まれてくる喜びはあるにしても、
週5日の勤務体制の生活リズムを失い、のんびり、ゴロゴロと家にいるわけです。
それは私にとっては、とても詰まらなく物足りない日々でした。

これからの私は、子育てと家事だけで十分な幸せを感じられるのだろうかと不安になると同時に、
私はのんびりは好きではなく、外へ出て、いろいろな刺激を受けたり、
働くことが好きなんだと実感として気づいたのです。

生活スタイルがガラッと変わって気づいた本当の自分

-その時に産休明けに復職しようと思われたんですね?

はい。
ただ、当時は産休明けに復職する人は今ほど多くなく職場の理解も低かった。
産休を取ったら社内での地位が下がるというか、労働力としてあてにされなくなるという雰囲気でした。
それは子供のための突発的な休みや早退なども多くなるので、職場としては当然のことなのです。

当時の私は、他人に子どもを預けて働くということに抵抗があり、子供にも夫にも負い目すらありました。

そんな中での復職。

働くからには、夫にも子供に対しても、きちんと働いていると言えるような働き方をしないといけないし、
職場での働く姿勢も、子どもや家庭を理由にしないことを決めていましたので、
初めて、仕事に本気で対峙しようと決めました。

そして私は、元気な子どもだったこともあり、子どものために休むこともなく、
職場でも働くママとして信頼を深めていけたのだと思います。
それができたのも、保育ママさんや夫などの理解やサポートに恵まれたこともあります。

そんな新米ママのスタートでしたが、
人事異動もあり経理の職場から、書店経営者対応の仕事となり、
対外的な仕事となり、出版業界全体を学んだり、全国の書店経営者に触れたり、
はじめて出版社に勤めた実感がわいてきました。

-仕事はどんな業務をされていたんですか?

主な仕事は、講談社と書店のオーナー経営者(社長)の信頼関係を継続してゆくための外交官的役割。
その当時はまだまだ、書店経営者の従業員への影響力は絶対的でしたので、
社長の信頼を得ておけば、なにかと協力を得ることができました。

この業務が大変楽しくて。
会員誌の編集をしたり、全国の書店社長の横顔を取材したり、
書店経営者対象の研修会や協力店へのお礼の会などを企画実施。

上手くゆくかどうかの不安を抱えながらも一人で進めてゆき、
結果、喜ばれたり感謝されたりすることは、とても怖かったりもしましたがチャレンジ精神の華が開きました。


それに、そんな中で、書店経営者の経営や従業員対するお考えに触れたり、
商売とは何かを学ばせて頂いたりと、経営者ならではの話がとても刺激的でした。
この時の経験が今でも自分の大きな強みになっているかと思っています。

-家庭との両立は大変だったのじゃないでしょうか?

毎日が時間との戦いでした。
帰りの通勤のときは、ホームを歩いたことがなく、いつも走っていた記憶があります。(笑)
大した時間の節約にはならなかったと思いますが、一刻も早く帰らなければという思いが強かったのかもしれませんね。
子供が熱を出さずに、今日も元気に生きていて欲しい・・と、
休まずに会社に行けることが毎日の願いでしたし、一方、子供の笑顔が励みでもありました。

-その後は順調でしたか?

また数年経った時に雑誌販売局というところに異動になりました。
業務は、雑誌の発行部数を決めるのが主な仕事。
私にとっては、あまりやりようのない仕事でした。

その頃、世の中がリストラ時代に入ってきた時でもあり「会社に頼る生き方から脱却しなければ」と思うようになり、
また残業のない職場でもあったので、アフターファイブで自分はどんなことがしたいのか、どんなことができるのかなど、
いつ来るか分からない退職を見据えて模索し始めました。


またその頃は、そんな世の中の流れがあって、
高度成長時代や男女均等法のもと働いてきた人たちに、疲れが見えてきた時代でした。
作家の志茂田景樹さんと話していた時に、
そんな人たちに、仕事だけでなく癒しの時間、豊かな時間を提供するのはどうかしらと意見が合って、
志茂田景樹さんを校長先生として大人のためのカルチャークラブ「ザ・寺子屋」という楽しくて
ためになる交流会の主宰をするようになりました。

たくさんの著名人や文化人の協力講師による、コンサートや講演会・朗読会などを開催しました。
10年間に50回近く開催でき、好評をいただき、
やりたかったことを会社の看板を借りずにできたことは生きがいや経験、そして自信にもなりました。

定年直前の新たなチャレンジ

-パワフルに様々なことに挑戦してこられたんですね。

そうですね。
そして定年前の5年間は、希望部署ではない部署に配属となり、
最後まで情熱をもって仕事をしたいと思っていましたが、
自分の得意とする業務ではなかったので、あまり張り切れず、残念に思っていました。

ここでもまた、物足り病が発症。(笑)
早期退職も考えましたが、友人から「定年後にしたい事の準備期間と思えばいいんだよ」とアドバイスをもらい、
準備期間を含めた勤務とし、定年退職を目標決意しました。

-なにか見つかりましたか?

探していると来るものですよね。
茶道をやっていて、稽古仲間の3人が食事を出すお店でもやりたいねと話をしていた時に、
銀座のビルオーナーの友人から小さなBarが空いたけどやらない?とのお声がかかったのです。
「来た波には乗ってみよう」の私は、迷いなく始めることにしたのです。

本業は辞めずに、平日は経営者の立場でお店は男性バーテンダーに任せ、
女子チームは、面白いこと楽しいことの追求として、日曜日だけ間借り状態での別経営としました。
季節のお料理や手作りケーキの提供をウリにお酒を飲めない人でも楽しめるようなお店に。
交流はもちろんのこと、小さなスペースながらもイベントを開催したり、
講師をお呼びしての「百人一首」「伊勢物語」「朗読」の勉強会なども開催しています。

茶道の心得として「おもてなしの心」が不可欠なのですが、それを体現するような感じです。

-定年退職後はどんなことをされているんですか?

65歳までの再雇用として、デジタル出版編集部での勤務となりました。
部署内は、私には分からないデジタル用語が飛び交っていましたが、
若い方が多く未来に向けての空気が流れており、
その真剣に働く姿を見ているだけでも元気をもらうことができました。

5月末で再雇用も終わり、これからの人生をどのように充実させてゆくかがテーマです。
面白いと思う自分の感覚に純粋に向き合い続けたいですね。

習い事や趣味といわれるものも、いくつかやっていますが、
私にとって、仕事で感じる責任感や達成感は格別なものでしたからね。
幾つになっても、腰を下ろしてしまい切らずに【遊びも仕事も一生懸命!!】をモットーとしてチャレンジしていきたいです。

「自分を試す場」があることで得られる世界観

-カジュアルワークについてどう思いますか?

今までの経験をどこで、どう活かせるのか?を試せると言いますか。
新しいことへのチャレンジもできたり、
意外な自分発見もあるかも知れませんし、良い流れの働き方だと思います。


現実には、65歳を過ぎた人への求人は少ないです。
その人生や職歴の経験を国も企業も労働財産と考え、ぜひ上手に活かして頂けたら嬉しいです。

カジュアルワークは、そんな不安を払拭できるサービスであり、思想があるんじゃないかと思いました。
私には間に合わないかもしれませんが、その思想の広がりを期待にしています。

-なるほど、大変参考になりました。

ありがとうございました。